沿革

History

中央院のはじまり

仏を信じるという宗教心は、人々の素朴な習俗として古くから息づいていました。

明治のはじめ、北海道がまだ開拓の途上にあり、苫小牧もわずかな戸数の小さな漁村にすぎなかった頃、人々は不慣れな環境と厳しい自然とたたかいながら漁猟に従い、またその産物を売りさばいて生計をたてていました。
そのように日々を暮らす人々にとって、仏に依りすがる心は神を敬うのと同じほど切実なものでした。

明治2年-明治12年

明治政府が北海道の本格的な開拓に着手し札幌から室蘭へと新国道が延び、勇払の地にも移住者が増えはじめる中で、人々は心の拠り所となる寺院を求めるようになっていく。その願いに応える形で、札幌中央寺を本寺として明治12年、曹洞宗第二説教場が開かれたことが中央院のはじまりとなる

第二説教所時代 ― 広範な地域を支えた祈りの場

開設された第二説教場は、交通の便がまだ乏しかった明治期において、苫小牧をはじめ、鵡川・白老・千歳など、広範な地域の仏事一切を担う唯一の拠り所となる。葬儀・法要・布教はすべてこの説教所で執り行われ、海と森に囲まれた道内の厳しい暮らしの中で、人々はここに集い、祈り、支え合いながら日々を重ねていった

明治16年3月10日

やがて説教所の存在は地域に欠かせぬものとなり、村内の若手有力者たちが発起人・世話人となって、一寺として公称することを願い出る機運が高まり出願。これは単なる行政手続きではなく、説教所の頃より地域とともに歩み続けてきた第二世住職 加藤金翔師との深い信頼と絆の結晶でもあった

檀信徒に通知された寺号公称文書(明治17年)
檀信徒に通知された寺号公称文書(明治17年)

こうして、明治17年、寺号「実法山 中央院」が公称され、札幌中央寺二世 小松萬宗師を開山に観請し、中央院は一寺としての歩みを正式に始めることとなりました。

明治時代 最初の本堂・金毘羅堂・庫裡(くり)

中央院と歴代住職の歩み

明治17年2月15日

寺号公称にあたり、札幌中央寺二世 小松萬宗師を開山に観請・初代とし、加藤金翔師が開創 第二世住職となる

初代 開山
小松萬宗師
初代 開山
小松萬宗師

明治18年-明治38年

説教場開設時より当地に入っていた加藤金翔師が、布教・教育文化・公共事業に尽力し、伽藍整備にも力を注いで中央院の基盤を築く。苫小牧が工業都市として発展していく中、地域に深く寄り添い続けた

開創 第二世住職 加藤金翎師
開創 第二世住職
加藤金翎師

明治39年2月

第二世住職 加藤金翔師が遷化。第三世住職 中三川貞成師が就任し、その間、王子製紙の操業により急速に発展する苫小牧の中で、増え続ける檀信徒に対応し本堂再建の機運を高めた

第三世住職 中三川貞成師
第三世住職
中三川貞成師

大正8年9月

第三世住職 中三川貞成師が遷化し、副住職だった荒澤仙齢師が第四世住職となる

第四世住職荒澤仙齢師
第四世住職
荒澤仙齢師

大正9年10月

のちに道南の名所と呼ばれる新本堂が落成

新築の中央院(大正9年)

大正10年5月1日

苫小牧の市街地1,007戸が被災した「こいのぼり大火」では、被災者の避難所として中央院を開放し、地域を支えた

昭和15年5月

第四世 荒澤仙齢師が遷化し、第五世住職として、白老村・竹浦禅照寺前身の説教所住職 加藤賢雄師が就任

第五世住職加藤賢雄師
第五世住職
加藤賢雄師

昭和19年11月

加藤賢雄師が白老・竹浦の禅照寺と兼務をしながら改築した庫裡が、戦時下の困難を乗り越えて落成。同時期に禅照寺本堂新設も成し遂げるという力量を発揮した

昭和20年4月1日

第五世住職 加藤賢雄師が中央院住職を勇退後、副住職だった荒澤哲翁師が第六世住職となる

第六世住職荒澤哲翁師
第六世住職
荒澤哲翁師

昭和22年-昭和27年

戦後復興の混迷期において布教・社会福祉・教育活動に尽力し、昭和22年に因脈会、同27年には授戒会を修行

昭和34年

門前の国道拡張工事により庫裡が移転対象となり、改築工事とともに、山門及び境内地周囲塀の建立と80周年記念法要を修行する

庫裡上棟式 (昭和33年)
庫裡上棟式 (昭和33年)

昭和51年-昭和59年

昭和51年10月、現在の姿となる山門と白壁の塀を建立し、開創100年 山門落成記念大法要を執り行う。同54年には第2霊安堂を整備、同59年に檀信徒会館、庫裡改築工事を行うなど伽藍の近代化を推進した

昭和64(平成元)年10月7日-8日

昭和64(平成元)年
10月7日-8日

哲翁師では3回目となる節目法要の開創110年 慶讃・落成祝祷法要を2日にわたり厳修し、延べ1,000人近い人々が参列、中央院の歴史を次代へと確かなものとする

平成2年2月

第六世住職 荒澤哲翁師が遷化

哲翁師は寺務にとどまらず地域行政にも深く関わり、苫小牧市選挙管理委員として市政にも奉仕。加えて、市内初の私立高等学校となる駒澤大学附属苫小牧高等学校の誘致・設立に尽力し、地域の教育環境の向上に大きく寄与した

平成3年6月

第七世住職となる荒澤義範師の晋山式と副住職 荒澤道範師(現住職)の就任大法要を厳修

第七世住職(現東堂)  荒澤義範大和尚
(あらさわ ぎはん だいおしょう)
荒澤義範師
第七世住職(現東堂)
荒澤義範大和尚
(あらさわ ぎはん だいおしょう)
荒澤義範師

平成10年

老朽化した木造本堂と鎮守堂を鉄筋コンクリート造の新本堂として再建し、境内墓地の移設も行って、中央院の姿を現代へと確かな形で継承

平成24年

前年の平成23年に発生した東日本大震災により甚大な被害を受けた宮城県気仙沼市の少年野球チームに対して、4年間にわたり夏休み遠征を支援し、子どもたちの希望と再生を力強く後押しした

平成28年9月

第七世住職 荒澤義範師が退董式を行い東堂となる。義範師は、寺門の護持にとどまらず、地域社会の育成にも深い理解と情熱を寄せ、縁ある駒澤大学附属苫小牧高等学校の部活動を長きにわたり支援し、若い世代が健やかに成長するための環境づくりに尽力した

併せて、副住職 荒澤道範師の晋山式が行われ第八世住職に就任

第八世住職(現住職)  荒澤道範大和尚
(あらさわ どうはん だいおしょう)
荒澤道範師
第八世住職(現住職)
荒澤道範大和尚
(あらさわ どうはん だいおしょう)
荒澤道範師

平成30年9月

開創140年 慶讃法要と授戒会が行われ、200名にも及ぶ戒弟に仏縁を結び、中央院の新たな歴史を刻む

また、胆振東部地震に際して、5年にわたる募金活動を続け各方面へ寄付を行い、地域復興に寄り添った

令和2年以降

未知のウイルスとして世界を襲った新型コロナウイルスの流行時には、檀信徒の要望に応じて柔軟に檀務を行い、参詣者ゼロの本堂においても先祖供養と檀信徒の安寧、そして世界的流行の終息を祈り続けた

令和8年-現在

道範師は、本堂西側銅板屋根の修復やWEBサイト開設など、情報化時代に合わせた寺院運営も進め、同年に行われる開創150年 記念法要に向けて、檀信徒とともに新たな歩みを続けている

中央院のこれから

太平洋の風を受けながら海の鎮守に守られ、中央院はこれからも地域とともに歩み続けます。

創建から150年を迎えようとする今、その歩みは新たな時代へと静かに続いています。

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