寺内・境内のご案内
Temple Grounds Guide
本堂
―心安らぐ祈りの空間―
当寺の歴史と信仰を象徴する本堂は、参拝者の皆様にとって、いつでも心安らぐことができる祈りの場所です。
厳かに佇むご本尊、釈迦牟尼仏様の御前にて手を合わせるとき、自ずと心が整い、日々の感謝や願いと向き合うことができます。法要の場としてはもちろん、坐禅体験など、中央院の精神を体感していただく場としても活用されています。ぜひ一度、この静寂の中でご自身の心と向き合ってみてください。
聯
れん
本堂正面に向かって大きな左右2本の柱にかかる、聯(左右1対にしてかける書)があります。
これは、平成11年7月 中央院本堂落慶を記念して、大本山永平寺 七十八世貫主 宮崎奕保猊下より賜りました。
漢詩の対句になっていて、修行と悟りの境地をたとえによってあらわした美しい一節です。
右側
二厳清浄 発如春苑之華
「二厳清浄にして花の春苑に発するが如く」
(仏道において身と心、内面と外面、自利と利他など相対するものがともに整い、きよらかで徳が自然に満ち溢れ美しく世にあらわれる様子)
左側
三輪空寂 印似秋天之月
先の句が徳が外に花開く姿【動】だとすれば、対句は内面が澄み渡った静寂の境地【静】これは【動】と【静】を対にした禅の精神であり、修行が円熟により自然に徳があらわれ、そこには一切の我執がない悟りの姿が示されています。
鎮守 金毘羅大権現
ちんじゅ こんぴらだいごんげん
中央院の本堂内向かって左端に小さな厨子があります。
中には小さな像が祀られています。
中央院の資料にもその謂れの詳細がない不思議な像。
伝え聞く話では、昔、中央院の裏手の浜に流れ着いた小さな像を海から遣わされた大切な鎮守の神様とお祀りしたことが始まりだとか。
太平洋を背に立つ中央院は、小さな漁村の人々の願いによって法灯の灯がともりました。現在は苫小牧漁業協同組合の所蔵の石像も祀られ、毎年7月上旬に金毘羅大祭を行い、海上で働く人々の安全や大漁などを祈願しています。

(ちんじゅ こんぴらだいごんげん)
三十三観音
さんじゅうさんかんのん
三十三観音とは観音菩薩が衆生(一切の生きとし生けるもの)を救うために現す三十三の化身(すがた)のことです。
「人はそれぞれ違う苦しみを生きている」苦しみは立場や年齢、性差や心の状態などにより様々です。観音の三十三身は最も届きやすい形に姿を変え、救いの手を差し伸べる存在とされています。「救いは決まったかたちはでなく縁に応じて現れる」という仏教の教えを表しています。

十六羅漢像
じゅうろくらかんぞう
十六羅漢は釈迦牟尼仏より「仏法がこの世にある限りとどまり、衆生を守るよう」と託され誓った聖者たちのことです。
観音菩薩は衆生救済のため姿を自在に変える慈悲の象徴であり、羅漢は修行と悟りを成就し仏法を守り続ける実践者、という違いがあります。
羅漢は教えを地上にとどめる礎であり、日々の生活の中で教えを守り続ける象徴であると言えます。
中央院の十六羅漢像の特徴は、寄贈者の似顔に基づいて彫刻されています。

永代祠堂位牌
えいたいしどういはい
永代祠堂位牌(えいたいしどういはい)は本堂正面の右側に十六羅漢像の背後に整然安置され、参詣の皆様をお迎えしています。
永代祠堂位牌とは、ご家庭のお仏壇に祀る位牌とは別に、お寺の本堂(祠堂壇)に永久に安置される位牌のことです。当寺がご家族に代わり、折々の法要を通じて、ご先祖様の供養を末永く執り行います。

本堂欄間
~ 道元禅師一代記 ~
本堂の見どころの一つ、頭上には見事な「彫刻欄間(らんま)」が飾られています。表側に、道元禅師の波乱に満ちた生涯を描いた「一代記」(伝承を含む)が刻まれ、その物語が左右二つの名場面として一枚の欄間に凝縮されています。一転して裏面に回れば、そこには牡丹や菊、竹など様々な草花が咲き乱れたさまが彫られています。
また、ロビーには、欄間の各場面がわかりやすい「一代記の絵」(伝承を含む)として展示されており、それぞれの絵に説明が添えられています。
彫刻に込められた道元禅師の志を、絵と共にお楽しみください。

御誕生と母の死
1. 御誕生
正治2年(西暦1200年)1月26日久我 通親(こが みちちか)を父親とし前摂政関白 藤原基房(ふじわら もとふさ)の娘を母とし京都に御誕生
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曹洞宗の開祖であり、大本山永平寺を開かれた道元さまは、鎌倉時代の初め、西暦1200年の正月に京都の貴族の家にお生まれになりました。 幼い頃からその才能は際立っており、知恵の神様である文殊菩薩の生まれ変わりではないかと噂されたほどです。そのため、幼名は「文殊丸(もんじゅまる)」と名付けられました。 この絵に描かれているのは、高貴な香りに包まれたご懐妊の様子です。偉大な聖者がこの世に生を受ける、その瑞兆(おめでたい予兆)を伝えています。
2. 母の死
道元禅師8歳にて母親の死に会い世の無常を感ずる
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道元さまがまだ8歳という幼さだった冬のこと、最愛のお母さまが亡くなられました。 お母さまは息を引き取る直前、道元さまの手を優しく握り、「仏道に入り、亡き父母の供養をするとともに、苦しむ人々を救う道に進んでください」と遺言を残されました。 静かに旅立たれたお母さまのそばで、道元さまが心を込めて焚いたお香の煙は、はかなく空へと消えていきました。そのひとすじの煙を見つめながら、幼心に命の尊さとはかなさを深く感じ取られた道元さまは、人々の幸せを願う一生を歩む決意をされたのです。
少年期、天台宗での出家
3. 幼少期
9歳にて「倶舎論」を閲読する
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母を亡くした翌年の9歳、道元さまは仏教の深い哲学が記された難解な書物『倶舎論(くしゃろん)』を読み始められました。 この本は、当時のエリート僧侶たちでさえ理解するのに8年はかかると言われていた、仏教界でも指折りの難解な学術書です。 9歳という若さでこの深遠な教えを理解し始めた道元さまの姿に、周囲の人々は「やはり文殊菩薩の生まれ変わりに違いない」と改めて驚嘆したと伝えられています。
4. 天台宗での出家
道元禅師14歳 天台座主公円僧正のもとで出家得度をする
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建保元年(1213年)、道元さまが14歳の春。ついにその決意を形にされる時が来ました。 母上の遺言を胸に、比叡山延暦寺の横川(よかわ)へ登った道元さまは、当時の仏教界の最高位である天台座主・公円(こうえん)僧正のもとで髪を剃り落とし、正式に僧侶となられました。 幼き日の名「文殊丸」を捨て、仏弟子としての歩みを始められた道元さま。その清らかな眼差しは、母への供養を超えて、すべての生きとし生けるものを救うという大きな誓いに満ち溢れていました。
仏法を求めての渡宋と阿育王山での出会い、 天童山での典座老師との問答
5. 仏法を求めての渡宋と阿育王山での出会い
阿育王山の典座老師に大陸禅の手ほどきをうける
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日本で「秀才の誉れ高い僧」として知られていた道元禅師は、中国に渡った当初、仏教を「頭で理解するもの(経典の知識)」として捉えていました。しかし、阿育王山の老典座(料理責任者)との出会いは、その価値観を根底から覆す、まさに「大陸禅の最初の手ほどき」となりました。
6. 天童山での典座老師との問答
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道元禅師は、炎天下で椎茸を干す老典座の姿を見て、「そんなに大変な役目は若者に任せて、あなたは坐禅や読経に専念されてはどうか」と言葉をかけました。 その時、老師は笑ってこう答えました。 「他は是れ吾にあらず(他人は私ではないのだよ)」
この言葉は、「自分の務めを他人に代わってもらっても、自分が修行したことにはならない」という真理を突いています。料理も、掃除も、仕事も、誰かに任せることはできても、それを通じて得られる心の成長や経験は、自分自身で向き合わなければ決して得られないものであると教えています。
正師 如浄禅師との相見、僧堂での坐禅中の心身脱落の語を聞き得悟
7. 正師 如浄禅師との相見
天童山の妙高台にて香を焚き正師・如浄禅師を相見する
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比叡山から始まった道元さまの求道の旅は、中国・天童山の切り立った絶壁の上にある「妙高台(みょうこうだい)」で、ついに一つの到達点を迎えます。 正治2年、新しく住職として迎えられた如浄(にょじょう)禅師に対し、道元さまは一通の上表文(手紙)を捧げ、弟子入りを願い出ました。如浄禅師はこれを受け入れ、山上の聖地・妙高台にて道元さまを迎えられました。
8. 僧堂での坐禅中の心身脱落の語を聞き得悟
僧堂で坐禅中 如浄禅師の示誠を聞き心身脱落する
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天童山での修行中、ある夏の日の夜明け前(暁天坐禅)のことでした。道元さまが他の修行僧たちと共に僧堂で坐禅を組んでいた際、隣で坐っていた僧が居眠りをしてしまいました。 それを見た如浄禅師は、厳しくも慈愛に満ちた声でこう一喝されました。 「参禅は身心脱落(しんじんだつらく)なり。何ぞさらに睡眠(ねむり)を用いん」 (坐禅とは、身も心もすべてを投げ出し、執着から離れることである。どうして居眠りなどしている暇があるのか)
「身心脱落」という言葉が耳に触れた瞬間、道元さまの心の中にあった「悟りたい」という欲目や、「自分」という強いこだわり、そして過去の迷いや未来への不安、そのすべてが、あたかも脱ぎ捨てた衣のように、はらりと落ちていきました。 体も心も、宇宙の大きな流れの中に溶け込んでいくような、絶対的な安心感。これこそが、道元さまが追い求め続けた真実の姿でした。
坐禅が終わると、道元さまは如浄禅師の部屋を訪れ、香を焚いて報告されました。 如浄禅師は、道元さまの清々しい表情を見て、「脱落、脱落」(本当によくぞ脱ぎ捨てたな)と、その悟りを深く認められました。 ここから、「何かを得るための坐禅」ではなく、「仏としての姿そのものとして坐る」という、曹洞宗の根幹である「只管打坐(ひたすら坐る) 」の教えが完成したのです。
修行中の道元禅師の杖が龍に姿を変え虎を追い払った逸話、 帰国を進められる様子
9. 修行中の道元禅師の杖が龍に姿を変え虎を追い払った逸話
道元禅師の拄杖(しゅじょう)が龍と化して猛虎を斥ける
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如浄禅師のもとで正法を受け継いだ道元さまは、その教えを日本へ持ち帰るべく、再び険しい道のりを歩み始めました。 中国の深い山中を歩いていた時のことです。突然、目の前に鋭い牙を剥いた猛虎(もうこ)が現れ、道元さまの行く手を阻みました。周囲に助けを呼ぶ術もなく、絶体絶命の危機が訪れます。 しかし、道元さまの心は少しも揺らぎませんでした。 道元さまが手に持っていた一本の「拄杖(しゅじょう:修行僧が持つ杖)」を前へ突き出すと、不思議なことが起こりました。その杖がたちまち一条の「龍」へと姿を変え、天を突くような勢いで猛虎を追い払ったのです。 この奇跡は、正しい仏法を伝えようとする道元さまの至誠(しせい)の心が、天地の神々に通じた証であると言い伝えられています。
10. 帰国を進められる様子
韋将軍(いしょうぐん)に帰国を勧められる
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道元さまが中国(宋)での修行を終えようとされた頃、その徳を深く慕う一人の武官がいました。名を韋(い)将軍といいます。 韋将軍は、異国から来た若き僧・道元さまの、一点の曇りもない修行の姿と、如浄禅師から受け継いだ本物の智慧に触れ、心から帰依(仏弟子として敬うこと)しました。道元さまが日本への帰国を決意されたと聞き、韋将軍は驚き、熱心にこう勧めました。 「どうか、この国に留まってください。私が外護者(支援者)となり、立派な寺院を建立しましょう。あなたの教えは、この地の人々にとっても必要な宝です」 時の権力者である将軍からのこの申し出は、僧侶として名声を得る絶好の機会でした。しかし、道元さまの心には、常に故郷・日本の人々の姿がありました。 「将軍の厚意には深く感謝いたします。しかし、私は釈尊の正法を日本に届けるという誓いを持ってここへ来ました。待っている人々のもとへ帰らねばなりません」 道元さまは、将軍が用意しようとした富や地位をすべて辞退し、一人の修行僧として、再び荒波の海へと向かわれました。韋将軍はその引き際の鮮やかさと、志の高さに涙し、道元さまの帰国を静かに見送ったと伝えられています。
道元禅師と大権修利菩薩の誓い、帰国中荒波に現れた観世音菩薩に救われる逸話
11. 道元禅師と大権修利菩薩の誓い
大権修理菩薩を随えて帰国する
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道元禅師が中国での厳しい修行を終え、お釈迦様から正しく受け継がれた「正伝の仏法」を携えて日本へと帰国する航路でのことです。
当時の東シナ海は命を落とす僧侶も少なくない荒海でしたが、その船上に、不思議な威容をたたえた大権修利菩薩(だいげんしゅりぼさつ)が突如として姿を現しました。菩薩は、道元禅師が命をかけて日本へ伝えようとする純粋な教えに深く打たれ、「私があなたの航海を安全に導き、日本に渡った後もその仏法が永遠に途絶えぬよう、全力で護衛し続けましょう」と力強い誓いを立てました。
この約束は単なる航海の無事だけでなく、日本に帰った禅師が既存の勢力から圧力を受けたり、険しい道を歩んだりすることを見越した、時空を超えた守護の約束でもありました。この話は、今も曹洞宗の信仰の中で大切にされており、永平寺をはじめとする多くの寺院で、大権修利菩薩は「伽藍神(がらんじん)」として修行者たちをトラブルから守り続けています。一人の僧侶の揺るぎない覚悟が、神仏をも動かして「最強の守護者」を引き寄せた、まさに魂の共鳴とも言える感動的なエピソードです。
12. 帰国中荒波に現れた観世音菩薩に救われる逸話
日本への帰路 一葉観音菩薩に暴風を鎮めて頂く
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中国(宋)での修行を終え、正法を携えて帰国の途についた道元さまを待ち受けていたのは、命を脅かすほどの凄まじい暴風雨でした。 船は木の葉のように揺れ、激しい波が今にも船体を飲み込もうとしていました。乗組員たちが絶望し、誰もが死を覚悟したその時、道元さまは船上で静かに、観世音菩薩の功徳を説いた『観音経(かんのんぎょう)』を唱え始められました。
道元さまが一心に祈りを捧げると、にわかに波間にまばゆい光が差し込みました。 すると、荒れ狂う海の上に、一枚の蓮の花びら(一葉)に乗った観世音菩薩が姿を現されたのです。 その清らかなお姿が現れると同時に、それまで荒れ狂っていた暴風は嘘のように静まり、海は鏡のように穏やかになりました。道元さまの「真実の教えを日本に届けたい」という一途な祈りが、観音さまの慈悲を呼び寄せた瞬間でした。
迷える霊に血脈を授け救う逸話、帰国後の京都深草安養院にて閑居
13. 迷える霊に血脈を授け救う逸話
夜更けの僧堂に現れた影
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道元さまが修行を続けておられたある夜のことです。静まり返った僧堂に、この世に未練を残し、迷い苦しんでいる一人の霊が現れました。 その霊は、死してなお「心の闇」から抜け出すことができず、救いを求めて道元さまのもとへたどり着いたのです。
道元さまは、その霊を恐れることなく、深い慈悲を持って迎えられました。そして、お釈迦様から代々正しく受け継がれてきた仏弟子の証明である「血脈(けちみゃく)」を授けられました。
血脈とは、仏様と自分を繋ぐ「命の系図」のようなものです。道元さまから授かったこの聖なる絆によって、それまで暗闇を彷徨っていた霊の心には、パッと仏の光が差し込みました。 執着や迷いから解き放たれたその霊は、感謝の祈りを捧げながら、穏やかに成仏(安らかな世界へ旅立つこと)していったと伝えられています。
14. 帰国後の京都深草安養院にて閑居
帰国後、深草安養院にて閑居(かんきょ)する
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中国(宋)から帰国された道元さまは、当時の権力者と結びついた大きな寺院に入ることを望みませんでした。西暦1227年、禅師が選ばれたのは、京都・深草にある安養院という小さなお堂での、静かな隠遁(いんとん)生活でした。 「閑居(かんきょ)」とは、世俗のしがらみを離れ、静かに修行に専念することを意味します。
二、手ぶらで帰ってきた、ただ一つの宝
安養院での道元さまは、中国から持ち帰った珍しい仏像や経典を誇示することはありませんでした。 ある時、人々から「中国で何を得てこられたのか」と問われると、禅師はこう答えられました。 「ただ、眼(まなこ)は横に、鼻は垂直にある(眼横鼻直)という当たり前の真理を知り、手ぶらで帰ってきた(空手還郷)」 この安養院の静けさの中で、禅師は「特別な奇跡ではなく、ありのままの姿こそが仏である」という確信を深められたのです。
杓底一残水 汲流千憶人、最後の説法『八代人覚』を説く
15. 杓底一残水 汲流千憶人
「杓底の一残水 流れを汲む千億の人」
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道元さまが永平寺で修行されていた時のことです。谷川の水を柄杓(ひしゃく)で汲み、使ったあとに少しだけ水が残りました。 普通の人ならそのまま地面に捨ててしまうようなわずかな残り水でしたが、道元さまはそれをわざわざ元の谷川へと丁寧に返されました。
そして、その様子を見ていた弟子が理由を尋ねると、道元さまは静かにこう仰いました。 「杓底(しゃくてい)の一残水、流れを汲む千億の人」 (柄杓の底に残ったわずかな水であっても、それを元の流れに返せば、やがて下流でその水を汲むであろう数えきれないほどの人々の命を潤すことになるだろう)
16. お釈迦様の最後の説法『八代人覚』を説く
お釈迦様の最後の説法「八大人覚」を人々に遺誠(ゆいかい)する
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建長5年(1253年)、道元さまは重い病に伏せ、京都へ治療に向かう直前、永平寺の弟子たちに最後の説法をされました。それが、お釈迦様がなくなる前に説かれた最後の説法「八大人覚」であり、道元禅師も著書『正法眼蔵』の最終巻にこの教えを持ってくることにより、大事な遺言として後に続く者たちに説いています。
「私が去った後も、この八つの教えを宝として生きなさい」その言葉には、ご自身の命が尽きようとする瞬間まで、人々が救われることを願い続けた禅師の深い慈愛が込められていました。
八大人覚とは、私たちが心穏やかに、仏さまのように生きるための八つの智慧です。その中心にあるのは、現代の私たちにも通じる「心の持ち方」でした。
少欲(しょうよく): 欲を少なくすること。
知足(ちそく): 既に満たされていることに気づき、感謝すること。
遠離(おんり): 静かな時間を持ち、自分の心を見つめること。
精進(しょうじん): たゆまず善い行いを続けること。
不忘念(ふもうねん): 正しい願いを忘れず、心に留めること。
禅定(ぜんじょう): 心を落ち着け、乱さないこと。
智慧(ちえ): 真実を見極める目を持つこと。
不戯論(ふけろん): 無駄口をたたかず、誠実に生きること。
納骨堂
―家族とご先祖様に、安寧を―
―家族とご先祖様に、
安寧を―
中央院の納骨堂は、お寺が責任をもって管理をする安心の納骨施設です。
静謐な空間は、故人の魂が安らかに眠りにつける場所として整えられており、ご家族やご親族の皆様には、いつでも静かに手を合わせ、故人様との語らいの時間を大切にしていただけます。
各家の納骨堂での読経をご希望の際はお電話にて事前に日時のご予約をお願いします。
※納骨堂のご利用は、当寺の檀信徒の方に限らせていただいております。
360°view
画面を動かしてご覧いただけます。
納骨堂に関する詳細ページはこちら
水子地蔵奉安殿
みずこじぞうほうあんでん
納骨堂にある「水子地蔵奉安殿」は、尊きお命の安らかな眠りを願い建立されました。 慈しみ深いお地蔵さまが、幼き魂を温かく迎え入れ、親御様に代わって、昼夜を分かたず慈悲の光で包み込んでおられます。手を合わせ、お線香を捧げるひとときは、亡きお子様へ向けて「いつも想っているよ」という真心を届ける大切な時間です。 その祈りは、お子様が仏様の世界で穏やかに過ごされるための尊い糧となり、同時に、向き合われるご家族の心にも静かな安らぎをもたらしてくれます。

聯燈殿
れんとうでん
ここ聯燈殿(れんとうでん)には、曹洞宗の両祖様である道元禅師様と瑩山禅師様、中央院の歴代住職様が奉安されています。
